作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、アウトリーチの活動で見た歌舞伎町の光景について。
年末、早朝の新宿歌舞伎町で9歳の男の子がホテルの非常階段から転落し死亡した。男の子が落ちた23階の通路には、47歳の母親と7歳の妹がいたという。無理心中するつもりだったのか真相はわからないが、母親は殺人容疑で逮捕された。母子は前日夕方5時ごろにチェックインしたという。小さな子2人を連れ、繁華街のど真ん中にそびえるように立つ高層ホテルに、女性はどのような思いで入っていったのか。
年が明けて、歌舞伎町を歩いた。
私は「ぱっぷす」というデジタル性暴力被害者支援をしているNPO法人の副理事長を務めている。ぱっぷすでは昨年から、週に2度、歌舞伎町で女性たちに声をかけるアウトリーチを始めた。背景に、コロナ禍で職を失い、行き場を失った女性たちが性暴力や性搾取に巻き込まれている現実がある。
困っていることはないですか、おなかは空いてないですか、今日泊まる場所はありますか、助けは必要ですか? ……そんなふうに話しかけ、できるだけ多くの女性に相談窓口が書かれたカードのついたカイロやお菓子などを渡していく。必要な人には温かいお弁当を渡すこともある。最初は警戒され迷惑がられることが多かったが、回を重ねるごとに、自分から話しかけてくれる女性も出てきた。「女性と話すのは久しぶり」とほっとしたような表情を見せる女性もいる。「一緒に歩くよ」と、自分と同じように街に立つ女性に声をかける女性もいる。私はこれまで現場に立つことはなかったのだが、年末に起きた転落事件が頭から離れず、新年のアウトリーチに参加させてもらうことにした。東京に大雪が降った翌日のことだ。
夜7 時30分ごろからアウトリーチは始まった。歌舞伎町には買春目的で男性たちが集まる公園があり、その日はあまりに寒かったせいか「今日は少ない! 普段の3分の1くらい!」とスタッフが驚くほどだったが、初めて参加した者としては十分に多く見えるほど、2、30メートルおきくらいに男性が公園のフェンスによりかかり、歩く女性を「物色」していたり、女性に声をかけたりしている姿が目に入った。普段は数メートルおきに男性が立っていることもあるという。
お弁当が冷めないように保温仕様の大きなリュックを背負ったスタッフのSさんが、久しぶりに歌舞伎町に来たという私に、歩きながらいろいろ話してくれた。
「あそこで女性に声かけてる男たち、見えます? あれ、ホストクラブの客引きしてるんです。初回で入ってくれたら、男たちにバックが入るんです」
「このビルは全部ホストクラブ、全部です。1月はこのビルから飛び降りてしまう女の子がたくさんいるんですよね……12月はイベントが多くて、たくさんお金を使わせられるから、1月に払えなくなっちゃって」
「飛び降りは、この街では珍しくないです。あのホテル、非常階段に出やすいんです。だから飛び降りの名所みたいになってる。子どもが亡くなったからニュースになったけど、飛び降りは、ぜんぜん珍しくないんです。12月はみんな、死にたくなるんです」
Sさん自身が10代にこの街で過ごしたという。家族からの虐待から逃れるためだ。「歌舞伎(町)に殺されて、歌舞伎(町)に生かされたんです、ハハハ!」と歌うような感じで、自分の人生やこの街のこと、この街に集まってくる女性たちの話しをしてくれた。歩きながら何人ものホストとすれ違った。ホストクラブの客引きの男性たちの前を何度も歩いた。当たり前のようにマスクをしていない若い男性が多いことも気になるが、これほど歌舞伎町にホストクラブが乱立していることも私は初めて自覚した。居場所を失う女性たちに、この街は寛大に見える。賑やかに自分を受け入れてくれるようにも見える。寂しさを埋めるしかけはあちこちにある。お金をたくさん使っても、お金はすぐに稼げるよと甘い声が聞こえてくる
細い路地を歩いていると一枚の広告が目に入った。若い女性数人が団らんする様子が描かれている女性専用シェアハウスの広告だ。1カ月6000円の安さに驚いていると、Sさんが「これ、出会い系カフェの会社が運営しているんです」と教えてくれた。その住所で住民票をつくれるため利用しやすいが、風俗の勧誘もセットで入ってくるという。そこまでするんだ!?と思わず叫ぶように言うと、「若い女の子がいつもたくさん必要な世界だから」とSさんは、お弁当の入ったリュックのベルトを直しながら普通の声で言うのだった。
痛いほど冷たい夜だった。それなのに女性たちの多くはとても薄着だった。手袋をしている人もマフラーをしている人もほとんどいなかった。高いヒールに疲れて地面に座り込むようにしている女性もいた。女性、と書いてはいるが、私から見れば多くは、幼い顔をした「女の子」である。
ビルというビル全てからまぶしいほどの光が放たれ、騒音が噴き出すように街を埋める。そんなビルの合間に座り込んだりする女の子たちは疲れきった表情なのに、それでも「ありがとうー」「元気でねー」とぱっぷすのスタッフを逆に励ましたりしている。初めての私が慣れない手つきでお菓子と連絡先を手渡した10代にしか見えない若い女性など、「頑張ってください!」なんてことを、私に言うのだった。
私が歌舞伎町にいたのは夜の早い時間のたった2時間だ。しかもたった1日に過ぎない。スタッフに聞けば、女性の年齢は決して若年だけではなく40代、50代も少なくないという。24時間の託児所に小さな子をあずけて働く女性たちもいる。子供を転落死させてしまった女性と私が見たことを簡単に結びつけることはできないが、追いつめられている女性たちがこの街に向かう理由はいくらでもいくらでもいくらでもあるのだ。
昨年12月7日、女性相談員の兼松左知子さんが亡くなった。96歳だった。1957年の売春防止法の施行にともなって求められた相談員として、街に立つ女性たちに声をかけ、信頼関係を築き、性暴力や性搾取にあえぐ女性たちの人生に伴走するように生きてこられた。兼松さんの現場も新宿で、50年に渡って現役の相談員として女性たちを支えてきた。
売春防止法が施行されて今年で65年経つが、性産業は縮小するどころか、女性たちの人生をのみ込み続けている。それは、この国の性差別状況がほとんど変わっていないことを意味するのだろう。働く女性の8割が非正規雇用であり、非正規雇用の7割が女性という現実は、この国を生きる女性にとっては未来が常に不安定であるということを意味している。歌舞伎町にいた数時間で私はずっとお金の話を聞いていた。セックスの値段はいくらなのか。ホテルに泊まるのにいくらかかるのか。コンドームをつけずに中で射精したらいくらもらえるのか。ホストへの借金はいくらなのか。生活するのにいくらかかるのか。人生にあといくら必要なのか。私たちはいくらなのか。
この現実は、戦後初の女性相談員だった兼松さんたちが見た景色と、どれくらい変わっているのだろうか。
今年はもっとこの街に通おうと思う。ぱっぷすのスタッフたちも、マニュアルのないところから模索するように街を歩いている。女性たちが女性たちに手をさしのべて、その手を離さない。その優しい力をもっと強くしたい。
■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表
掲載:https://news.yahoo.co.jp/articles/a32de1a5527641d6915b9df5d655f8ee59abc931?page=1
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